活動の記録

チーム22
活動の記録




SINCE2021
From 壱岐
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チーム22 奉納の記録

銅鐸 銅鏡 蛇舞

実際のスクロールの挙動は、プレビュー/公開ページでご確認ください
<奉納の記録>

2021年8月 銅鏡奉納(長崎県壱岐・龍光大神) 
10月 銅鐸奉納(長崎県壱岐・龍光大神)
11月 銅鐸奉納(長崎県壱岐・御手水) 
12月 銅鏡奉納(長崎県壱岐・御手水)

2022年3月 銅鏡奉納(長崎県壱岐・金毘羅神社)
3月 御神事 (鹿児島県・喜界島)
4月 銅鏡奉納(長崎県壱岐・山神社)
4月 銅鐸奉納(奈良県・石上神宮)
5月 御神事 (奈良県・鏡作坐天照御魂神社) 
5月 旗上げ神事(長崎県壱岐・龍光大神)
5月 御神事 銅鏡奉納(長崎県壱岐・天手長長男神社)
7月 銅鐸奉納(北海道・北海道神宮)
9月 銅鏡奉納(長崎県壱岐・聖母宮) 
9月 銅鏡奉納(長崎県壱岐・原島神社)
10月 銅鐸奉納(長崎県壱岐・聖母宮)
11月 銅鏡奉納(長崎県壱岐・御手水 高美空大王神)
12月 銅鐸奉納(熊本県・幣立神社) 
12月 銅鐸奉納(鹿児島県・霧島神社)

2023年2月 銅鐸奉納(長崎県壱岐・若宮神社)
4月 旗上げ神事(長崎県壱岐・龍光大神) 
4月 銅鐸奉納(山梨県・新屋山神社)
4月 銅鐸奉納(静岡県・富士山本宮浅見神社) 
5月 銅鐸・写経奉納(香川県・善通寺)
7月 銅鏡銅鐸奉納(鹿児島県奄美大島・奄美岳大師御堂) 
8月 銅鏡銅鐸奉納(鹿児島県喜界島・住吉神社)
8月 銅鏡銅鐸奉納(佐賀県・鏡山稲荷神社)
8月 銅鐸奉納 (北海道 来運神社)

 

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チーム22の講座

体感が先、分かるは後

あなたに必要な感覚を
経験していく
実践型体験講座

2022年2月~2022年7月
講座「サラポリアン」(53名)

2022年9月~2023年3月
講座「22」(22名)

2023年4月~2023年9月
講座「31」(31名)

2023年10月~
講座「yamato mahoroba 神龍記」
開講予定

受講した方のご感想

《次のステージも楽しみ》

(思考の学校 上級認定講師 たぬまあつこ)
サラポリアン、22、31と続けて参加させていただきました。

私は思考の学校という協会で講師をしています。「思考が現実化する」考え方から、潜在意識(=思考)を扱って、生きづらさを手放していくメソッドをお伝えしています。

潜在意識(=思考)が現実をつくることはわかっていますが、サラポはその現実が目の前にあらわれる前に、または、あらわれているのに気づいていないことを伝えてくださったと感じています。
どのようにというのを言葉では説明しづらいのですが、サラポのセッション後はあらゆることについて見え方が変わっていきました。時にはそれを受け入れられずにヘソを曲げた私にもサラポは辛抱強く寄り添ってくださいました。
サラポが伝えてくれるのは私から私へのメッセージだと腑に落ちた瞬間から現実がサラサラと流れ始めて勝手に変わっていきました。

この一年間で私は講師としての軸がさらに整って、認定講師から上級認定講師に昇格しました。
3ヶ月間の長期講座を開催できるまでに成長して、時を経るごとにお伝えできる器もどんどん広がっています。
売上げも3倍以上に増えました。

サラポ〜31まで途切れることなく続けてきたことで見えてきたこともたくさんありました。
今後も、サラポという存在に依存するのではなく、体をメンテナンスしてもらうように見えないところをケアしてもらいながら、自分自身に安心して、くつろぎながら、私が持っているものすべてを循環させていきます!

次のステージも楽しみです♪

たぬまあつこ 公式LINEはこちら
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《今いる場所や人が味わい深いところに》

(グラウンディングラボ  くめきよみ)

私は今、日常生活のたわいないことがとても楽しく、仕事場でのやりとりがお腹を抱えて笑ってしまうことがあるくらい、今を楽しんでいます

今までが違っていたのか?と思うと楽しかったけれど、深さが違うと思う

周りに対する信頼も
私に対する信頼も
目の前の患者さんや
クライアントさんとの心の通わせ方も
深さが違っていると思う

そこから見える世界は
私は充分愛されている体感と
信頼されている感覚に溢れていて
全身で味わっている

その深さが自分の考えていたのと
全然違う方法で「勝手にやってきた」

何でも努力でやるもの
出来ないのは努力が足りないと
思う世界から

勝手に全てに満たされた世界に
連れて来られたように感じている

とっても説明しがたいのだけれど
体感が変わってきて
幸せなんだから
これで良いか〜と思う

今いる場所や人が味わい深いところになりました。
ありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。

くめきよみグラウンディング研究所 はこちら
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《本来の自分に戻れば。。を体験中》

(あみぐるみ作家 イリユウコ)
サラポリアン→チーム22→31に在籍して知ったことは
わたしの脳が考えるところの限界なんてウソだし、
わたしの脳が予想する未来なんて単なる過去の集まりだということだ。

誰かの話を通して“そういう知識を仕入れた”のではなく
自らの体験を通してそれを“知った”

“体感が先で わかるは後”だと
サラポは度々言う。

自分が体験したら
自分の家族にもこれが可能
(というか、これしかない)を
信じられるようになった。

最初の頃は
○○のせい、という犯人も失敗もなく
勝手に流れて運ばれる、
ということが信じられなかった。

何が起きても
“思い込み“、”“ラッキー”、“ただの偶然”としか
思わなかった。

だけど
自分や仲間たちに起きる出来事を目にするうちに
いつの間にか、気づいたら
“○○のせい?それホント?
勝手に起きるのに?”側に。
あんなに信じられなかったのに
いまではそれが当たり前の世界になっていた。

書きたいことは山ほどあるけれど
長くなるのでこの辺にする。

最後に活動の宣伝をしたいと思う。

わたしはいま、あみぐるみ作家をしている。
手先が器用とはいえず
家庭科は常に低評価、
アートや造形には全く縁がなかったわたしが、
モノ作りでお金をいただいていること、
これ自体、まじで脳で考えた限界や未来を越えてる。

自分でどうにかしようとしなくても
ただ本来の自分の波に戻りさえすれば
「である」(元々の流れ)が勝手に表れる
を、いま、体験中。

ゆーぐるみサイトはこちら
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《人生を楽にしてくれました》

(フラワーエッセンスセラピスト田中 聖代)
私は、サラポリアン、22、31と連続で参加させていただきました。
振り返るとあっという間でしたが、とても深い体験をさせていただきました。
そして、初めの頃の自分と今の自分を比べると
本当に楽な生き方が出来るように変化したことを実感します。 当初は、目の前に起こる現実に思いっきりのめり込み、
苦しくて死にたいと思ったこともたくさんありました。
私自身の内側の我慢や苦しみや怒りが、皮膚や身体に常に現れ、
いつになったらこの状況や状態を抜け出せるのだろうと長い間
つらく思っていたことを思い出します。
そのたびに、私の波の絡まりをサラポから遠隔で通してもらうことは本当に大きな助けでした。
実際その“波の絡まり”が私に目に見えるわけでもないし、絡まりがなくなったかどうかも見えないのですが、
定期的に私に繋がって絡まりを通してもらうと、だんだん楽になってきている感覚が本当に不思議でした。
セッションでは、自分が触れられたくない事や信じたくないこと、
自分の内面の見たくない部分もいろいろ話題が出てくるため、セッションを受けたくない辞めたいなと思ったことも
正直何度かありました。でもそれは本当の自分と向き合うためのいい機会だったのだと思います。
乗り越えることが出来てよかったです。 サラポからかかってくる電話のセッションは、
突然にもかかわらず、
「およびですか?」と毎回言われるので
「え?呼んでいないよ!」とずっと思っていた私でしたが、
だんだん、「あ~私が呼んだんだな」と実感するようになりました。
また、「あなたから」、「あなたの波がみせるもの」、
「このフィールドを作ったのはあなた」というサラポからの言葉が
最初は意味が全く分からなかったのですが、やっとようやく今
「すべて私が創ったんだ」と感じられるようになりました。
グループ内で不思議だと思う体験が何回も目の前に起こると、
それが当たり前になって全く不思議だと思わなくなってきて、
少しのことでも動じなくなり
「目の前に現れる現れは特別なことではない」と冷静に感じることが出来るようになりました。
頭で感じるのではなく体感でいろいろ感じるようになってきたからだと思います。
この感じ方の変化は私にとって大変面白く、そして人生を楽にしてくれました。
愛あふれるサラポ植田久美子さんに出逢えたこと
そしていつも護ってくださる龍光大神様に心から感謝します。
本当にありがとうございました。
 
田中聖代の活動HPはこちら
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《どんどん進化していきます》

(マジカルファクトリー代表 上田奈津子)
明日は、父の十三回忌と祖父の五十回忌という今日。
私の絡まりが流れてエネルギーが通ると、こんなにも周りの世界が美しく優しく幸せに変わることを感じて嬉しくて泣きました。
こんなにもしあわせを感じる日が来るなんて、感謝しかありません。 毎日頭の中にサラポ植田が現れ、会いに行った日から2年半。 壱岐國・龍光大神様のご加護の中、サラポ植田に私の中の絡まりを解き流し続けてもらうことを繰り返してきました。 私の心とその体はどんどん軽く楽になりました。痛みさえも無くなったりするのでした。 私と私を取り巻く世界がどんどん変わっていきました。
絡まりによる屈折がなくなることによって私のたくさんの勘違いにも気付かされました。何十年も勘違いの中生きてきたのです。 夫の愛の形やその安心間
苦労ばかりして可哀想だと思っていた母は実は幸せだったこと
働かないと思っていた父も実は絡まっていたし病気で体がつらかったこと、私の知らない世界で家族を守っていたこと
お姑さんを愛せるようになったこと
息子の再就職もすんなり決まり今はストレスなく働いていること
もうやらないと思って辞めた看護師の仕事も今は楽しくやっていること 気づけて、変われて、本当によかったです。サラポと龍光大神様、私の上に心から感謝しています。
そしてある日、私は着物にハサミを入れて、その着物を縫い始めました。
私が縫っているようで実はそうでないような感覚。
《さむうぇあ》という1分で着て1分で脱いで畳める和服が生まれました。
そして大島紬が現れ、その心地よさに心を奪われました。
奄美大島を訪れ、奄美FMに出演することにもなりました。
《さむうぇあ》を求めて下さる方がご注文下さり、作る時間を心から喜び楽しんでいます。 絡まり解き流し続けた結果、《さむうぇあ》は、ある日突然、(勝手に)私の前に現れたのです。私の中からその姿を現したとも言えるかもしれません。 着た人が楽を感じて、勝手にしあわせになってしまう《さむうぇあ》
これからも求めて下さる方にお届けしていきたいと思います。 私も《さむうぇあ》もどんどん進化していきます。
まだまだこれからだそうです。
とても楽しみです。


《さむうぇあ》のHPはこちら
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《現代に再興した「講」》

(鈴木ゆき)
ある日、知人の植田久美子から久しぶりにいきなりメッセージと電話が来て、サラポリアンという名称の、謎の講座に私は誘われました。

植田久美子が面白そうな人なのは知っていました。国家資格を持ち臨床経験も豊富な医療技術者だった彼女が、謎の理由でいつも山や神社を巡っていて、何がそんなに嬉しいのかと思うくらいにほっぺたをツヤツヤにさせている写真がよくSNSに流れてきていたので。

いったい彼女は何をやっているのか。写真についているポエティックな文章からは、何かしらの熱量を感じます。何かを強く訴えています。確かに何か人の体や心のことを伝えようとしています。そしてそれはポジティブなエネルギーのようです。

しかし残念ながらその文章はお世辞にもわかりやすいとはいえず、何回読んでも意味不明でした。私は内容を理解することをあきらめて、植田の笑顔が流れてきたら「いいね!」を押していました。

山の植田。神社の植田。海の植田。写真はスクロールされタイムラインに消えていきました。いいね、楽しそうだね、がんばって。何やってるのか意味不明だけど、元気そう。いいね。いいな。

その彼女から突然の誘いです。「サラポリアン」が始まるから来いと。そしてそれが何かは説明できないと。

私の内側で、恐怖と好奇心が天秤にかけられ、好奇心が勝ちました。安くはない料金は、この女が何か一世一代をかけてやろうとしている、その何かを見届けようと、最悪これが詐欺か茶番だとしても、それを見届けるものとして捨ててもよいと、自分のお金で誰に迷惑をかけるわけでもなし、と腹を決めて支払いました。えいやっ。

家族には神社の巫女さんみたいな友人から、なんかいろいろ助言や物品を受け取ることになった」とだけ説明して、通称『神社』と呼ばれる私のサラポリアンライフが始まりました。

始まると『神社』からいろいろな品物や体験が提供されました。お札・サプリ・神社ツアー(行き先不明)人形・シャンプー・謎の床板の木目の写真・怖くて最後まで見れない植田の謎の踊りの動画…。

一体サラポリアンとは、何の集まりだったのでしょう。そして私は安くはない会費を支払い、その対価に何を得たのでしょう。それは当初私が危惧したような、植田による壮大な茶番だったのでしょうか。

結論は、サラポリアンとは現代社会に再興した「講」で、私はそれに参加したと感じています。みんなでお金を出しあって、誰かが仏典を高等教育機関で学んでくる。自分で行けないお社まで、行ける人が交代で代参する。全国津々浦々の有難い何かしらが、いろんな形でみんなのところに届く。古来から民衆で営まれてきたという「講」にまさにそっくりでした。

この不思議な現代の「講」はオンライン上で開催され、参拝の様子や感想は動画やテキストで共有されます。そして、毎月の会合や学習会の他に、植田から直接電話が来て、話をします。

植田との会話は、私の場合以下の①〜⑤の流れで進みました。

①何か自分に関係のあるようなないような回りくどい謎の話題を植田に振られる
②それを聞いているこちらに何かしらの感情的な反応が起きる(イライラする、疲れる、飽きる、腹立つ等)
③ 反応が起き始めた身体に着目し、植田は遠隔で身体を調整する
④知らないうちに何か気分が変化し、最初の①がいったい何の話だったか、うっすらわかるような気がしてくる
⑤終了

遠隔で身体を調整することについて、現代の科学的考えでは受け入れられない人も少なくはないでしょうし、例え受け入れていても、そこで本当には何が行われているかは、私たちには知り得ません。それは検証不可能だからです。

ただ、電話の向こうの植田はそのプロセスで、気の毒になるくらいに苦しみ叫び声を上げます。そしてなんとそれは自分の身体にある、わたしたちが感じないようにしている感覚だというのです。申し訳なさで息を潜めて聞いているとやがてそれは去り、それがどのように私たちの体に存在していたのか、の物語を植田は簡潔に説明してくれます。

その短いナラティブには人生全体を包括する時間的広がりと、自分しか知るはずがない苦しみや悲しみの、その奥底にまで光を当てるような空間的な広がりが備わっています。そしてそれは説得力がありました。

私がこの半年間で得たのは、自分の内側の空白や余裕と言われるスペースのように感じています。自分が持つ思考や情報や行動パターンのうち、あまり建設的でないものや今の生き方にそぐわないまま動かし続けてきたものが減った気がしています。

植田がすごいのは、それらを生み出すおおもとの『絡まり』に直接働きかける手法を持つことです。思考や情報を一つひとつ扱っていくのではなく、その発生源に働きかけることで、それらが丸ごとない世界に一瞬で知らないうちに切り替わっている。その前がもう思い出せないくらいに。忘れていくんです、どんどんと。そしてそれでよいのだとまた謎の絵を描きながら説明します。

それは植田自身が人として行ってはいない、と彼女は常に説明しています。龍光大神様をはじめとする神々との共同作業であると。

この半年間を振り返り、最初の頃からの自分や他の参加者のグループ投稿をざっと読み直しました。内容や課題は千差万別であれ、自らの思考や信念で凝り固まって密度が濃かったところに、数多くの穴が穿たれ、穴あきチーズのようになってきている様相が見て取れます。

その穴は空虚なものではなく、そのスペースにこそ、私たちが渇望するものたちが宿るようです。光や愛や温かさ、新しい可能性のようなものたちが。

だけどその穴を開けられるのが怖かったのです。痛くて悲しい、やめてと皆が叫ぶのです。その痛みを人の身で代わりに受けて、身代わりになって植田が手助けしてくれたので、私たちこんな穴あきチーズになれました。

どうして植田があんなに嬉しそうにほっぺたをツヤツヤにさせていたのか、どうしてあんなにわかりにくい説明しかできなかったのか、私はついに理解するところに来ています。ほっぺたをツヤツヤにさせて。


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